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オタクです

映画を見るようになりました

斜線堂有紀先生のキネマ探偵カレイドミステリーを読んで映画を見るようになった。
これまで私の人生に映画という媒体はほぼ存在していなかったと言っても過言ではなく、見ることはあってもアニメ映画一択、それ以外といえば幼い頃恐竜好きが高じて見ていたジュラシックパークシリーズや、いくつかのホラー映画を見たことがある程度。
母が映画オタクだったために勧められることはあり、勧められなくとも家で何かしら映画が流れていることはよくあって、その度に吹き替えの声優に反応していたりはしたのだが、興味を持って視聴するといったことは一切なかった。
というのも、恐らく映画という媒体以上に、三次元の人間に興味を持てなかったからというのが大きいように思う。
幼い頃からアニメや漫画といった二次元媒体の趣味に傾倒しており、逆にドラマや映画という媒体には一切の興味が持てなかった。
それは二次元的な表現が好きだから、という理由ももちろんあったが、現実/それに伴う三次元の人間というものを好きになれない/興味を持てないが故に、人間の顔と名前が全く覚えられない/誰も彼も似たり寄ったりの顔にしか見えないために物語に入り込めないという理由が大きかったのかもしれない。今思えばではあるのだが。
そうして28年、どれくらい映画を見たことがなかったかというとバックトゥザフューチャーを人生で見たことがないまま過ごしていたのだが、なんとそんな自分が進んで映画を見るようになった。
そのきっかけとなったのが、MW文庫から出版されているキネマ探偵カレイドミステリーシリーズだ。
作者の斜線堂有紀先生の作品は以前から拝読しており、その中でも「私が大好きな小説家を殺すまで」は聖典として扱っているほど好きな作品なのだが、デビュー作であるキネマ探偵カレイドミステリーを読んだのはつい最近、緊急事態宣言が出ることで引きこもりの才能を発揮できた二ヶ月間のことである。
キネマ探偵カレイドミステリーは映画を題材にした連作短編ミステリーだ。
映画と言えばドラえもんくらいしか見たことのない大学生・奈緒崎と、ひきこもりの映画オタク・嗄井戸が、映画のストーリーをなぞっていたり、一枚の映画の円盤をめぐったものだったりと、とにかくどこかしらに映画が関わっている事件をその映画の知識から解決していくという内容。
そのため映画を知らない自分のような読者は奈緒崎と一緒になって嗄井戸の深い映画知識に感嘆しながら、彼の語る作品の面白さ、それだけではなく、映画という媒体自体の面白さに耳を傾けることになり、映画に詳しい人間ならきっと嗄井戸と一緒になってかつて見た映画に思いを馳せ、その事件の解決へと思考を巡らすことができるはずだ。
現実にあるタイトルがいくつも作中に登場し、それは自分ですら聞いたことのある有名作もあれば、あの作品のこの吹き替えのバージョンといったわかる人にはわかるような細かい指定が含まれるものだったりもした。
しかしそのどれもに対し、ホームズ役の嗄井戸はとても面白そうにその作品を語るのだ。そして、映画という映像媒体がどれだけ魅力的で、その時代の技術を駆使して作られているものなのか、そこに込められた、フィクションの力がどれほどのものなのか。それらを本当に愛しそうに綴ってくれていた。
それだけでも映画への興味は出てきていたのだが、シリーズのラストシーンで二人が見始めた映画がどうしても見たくなり、本を閉じた瞬間からその映画が配信されている配信サービスを探し、なんとか登録を終え、二人と一緒に画面の前にいるように再生ボタンを押していた。

それからも作中に出てきた作品を見てみたり、知人に勧められるままにタイトルを調べたり、金曜ロードショーを録画してみたり、苦手意識のあった映画館に足を運んだり、まるでキネマ探偵カレイドミステリー第一話で登場したようなもうすぐ休館になってしまうというミニシアターに行ってみたりと(しかも上映していたのが正しく第一話で取り上げられていたニューシネマパラダイスだったのは本当に胸が詰まった)様々な方法で映画に触れている。
まだ映画の面白さ、自分がどんな映画が好きなのか、わかったようなわからないような、小説やアニメを摂取するときとは別の筋肉を使っているような感覚があり難しく思うことも非常に多いのだが、ひとつ言えるのは間違いなくかつて映画に興味を持てなかった頃より映画に興味を持てるようになったぶん楽しめるものやことが増えたこと。そしてキネマ探偵カレイドミステリーの、彼らの生活がふと垣間見えるような気になれること。今あの作品を読んだら、きっともっと別の楽しみかたも増えていること。
この映画を、もう彼らは見ただろうか? この映画を見たら、彼らはどんな感想を言うだろうか? そんな風に、友だちとの感想会を楽しみにするように、想像してわくわくしてしまえること。

この数年、WUG!という作品/声優ユニットを通じて現実に肉体が存在する声優やアイドルという生身の人間を好きになり、興味を持つことができたこともあり、昔よりはある程度三次元の顔の判別もつくようになったのも、今こうして映画を見れるようになった理由のひとつだと思っているのだが、少なくともキネマ探偵カレイドミステリーという作品がなければ「映画を見たい」と思うことはなかったはずである。
映画を見るようになった、という人に言ったら些細な出来事だと言われる/思われることかもしれないが、一切興味を抱けなかった媒体に興味を持って進んで自分から触れるようになったことは、自分にとっては少なからず価値観が変わる出来事だった。
たった一作に人生を変えられたといっても間違いではないだろう。こういうことがあるから作品は面白い。
今日も初めてグランドシネマサンシャインに行ってきたのだが、エスカレーターの横にずらりと飾られた映画のポスターには感動してしまった。額縁に綺麗に入れられ、ポスターの下には美術館のようにそのタイトルと監督の名前が綴られていて、この絵画のように並べられたポスターを、彼ら二人に見せたいなあ、ここに来てほしいなあと自然と考えていた。

映画って、小説って、フィクションって、それによって拡張されていく自分の現実って、本当に面白いです。斜線堂有紀先生に感謝。


ちなみに見た映画はこんな感じで手帳にタイトルと感想をメモしています。漢字と日本語滅茶苦茶だけど。映画鑑賞まだまだ続けるぞ!
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山下七海さんに救われるまで

2015年3月8日が人生の転機だった。
私はWake Up, Girls!山下七海のソロでイベント、やらせてください!に文字通り命を救われた。

色々あってそれまで躁鬱病を拗らせており、鬱になったり躁になったり大暴れした結果リアルでもネットでも人間関係を滅茶苦茶にし、アルバイトも辞め、ストレスの過食で丸々と太り、あとはいつ自殺するかという散々な状況だった。
そんな自分がたまたま見かけたのがWake Up, Girls!ソロでイベント、やらせてください!のネット配信だ。
WUGのアニメは放送当時から追っており、知人の熱心な布教活動によってラジオや生放送、イベント等の情報も自然と入ってきていた(その知人もソロイベ前に縁が切れてはいたのだが)。
それまで声優に声以外の魅力を見出だしていなかったため、ライブとなってしまうとリアルのイベント性が強くあまり興味を持てていなかったのだが、昔からキャラや声優によるカバーソングが大好きという趣味があった。
少し調べてみると、ソロイベではカバーソングを何曲も歌っているらしいこと、また青山吉能さんがEGOISTの曲をカバーしていること等、興味を惹かれる情報がいくつも出てきた。
「配信かあ……お金もそんなにかからないみたいだし、家で見られるならいいかな」
その程度の気持ちで、そしてせっかく見るならというくらいの感覚で、トップバッターを努めていた吉岡さんの公演を見た。
それが驚くほど、衝撃的なほどに楽しかった。
それまでWUGのメンバーは、みにゃみは天才、みゆちゃんはツインテが可愛い、奥野さんは身長が低くて可愛い、という印象しかなく、正直なところ吉岡さんはあまり視界に入っていなかった。なのにどうだ?あまり気にしていなかったはずの彼女が歌って踊っているだけで、こんなにも楽しくなり、わくわくさせられるのか?
自分はライブに行ったことがない。だからかもしれない。初めての経験だから?いや、それでもネットで誰かが歌って踊っている姿なんてこれまで何回も見たはずなんだ。とても不思議だった。
今思えばこの時にはすでに、彼女たちに夢中になっていた。

それから順番に終演後の配信を追っていった。
そしてみにゃみの公演。これがとんでもなかった。
なんとこれまでのWUG曲を自分で繋げて、メドレーを作ってきたのだという。
盛り上げるところを弁えており、回し方も上手い、その上WUG全曲メドレーってこれもうトリでいいでしょう。逆に田中美海さんのこの公演後にトリをつとめるの、無理だろう。トリは誰だっけ?ああ、山下七海さんだ。妙に顔評価が高いけれど、そうでもなくないか?結構丸いし、お芋ちゃんという感じが抜けない。運動神経もあまりよくなかった気がする。アニメをあまり知らないからか、声はともかく、台詞のイントネーションがおかしいことがあった。ぴんとこない。何より、個人的に嫉妬していた。理由はお察しだ。崇拝していた神様がななみん推しだった。苦い記憶だ。アホらしい、嫌な、感情的すぎる嫌悪感だ。
可哀想だと思った。こんなにも完璧な公演の後にトリをつとめないといけないのなんて可哀想。できないだろう。きっと、あっちのほうが良かったと言われるのに。
今思えば本当に勝手な、最低な哀れみを向けた。鼻で笑っていた。今考えると謝罪したい気持ちにしかならない。
そして、山下七海のソロでイベントやらせてくださいが始まった。

今でも覚えている。
もうしばらくお待ち下さい、と書かれた、久海菜々美ちゃんの絵が映された画面。
かかしのように立てられた、スポットライトを浴びている紫のリボンの衣装。
アナウンスにざわつくオタクの声。
照明が落ちた中で叫ばれる、ななみーん!という野太い声。
冷めた目でそれらを見ていた。その瞬間だった。

シャン!シャン!シャン!シャン!

小さな影にスポットライトが当たる。オオカミとピアノが流れ始める。
片耳だけがあざとく折られた、ウサギ耳のカチューシャ。ゆるくまとめられた、二本のみつあみ。位置がずれている襟。赤いチェックのスカート。
見るもの全てを魅了するバニーガールの姿で、山下七海さんは、その場にいるだれより楽しそうな笑顔で歌っていた。
トリなんて可哀想。
あの公演の後なんて。
できないだろうな……。
そんな風に思っていた、心配ではない、ざまあみろとでも言うかのようなどす黒い憐れみがボロボロと消えていった。
あんなに完璧だと思わされた田中美海さんの公演の後で、こんな表情ができるのか?こんなに楽しげに、なんの心配もなさそうに、時折ファンにサービスしたり、マイクを向けては、でも私のほうが幸せ!と叫ぶようにまた歌声を乗せられるのか?
衝撃的だったという言葉ですら生温かった。
圧巻だった、その様子は。
その後もトーク(お便り)コーナーや、練習を重ねたというマジックを田中美海さんをゲストに披露して。あれだけ完璧だと思っていた田中美海さんに、前の公演に潰されることなく、山下七海のイベントとして二人でキャラソンを披露した。
そこからのライブコーナーは何回見たかわからない。当時は七海さんの次の言葉を言えるほど聞いたし、見直した。
ふわふわ時間staple stable
ふわふわ時間のア~ドッキドキ~!とかいう謎コール。今日もハートズキズキ、の焦がれるような苦し気な姿。ラップいくよっ!と軽やかに跳ねる声。寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃお、ななみタイムだ~~~!!に大盛り上がりするファンの声も。
今ならまだ間に合うから撤退したほうがいいよ、もっと勘違いしてしまう前に……。の歌声に、ドキリとさせられたこと。歌詞の前後を少し間違えていたこと。片思いをして一喜一憂しているとわかるふわふわ時間の歌詞とはまた違う、こちらに入り込んでくるような、知っていけたら、知っていってもらえたらと願う歌詞。
ラストの曲は、当時大好きだったアニメのOPだった、光るなら。

え~ほいじゃ~ぁ ここからはblogでも告知していた やっちゃいます 私がしっとり歌うから~、その後…。覚えてきた?歌える?おーけー?よっしゃー!ぼんやりとだが、そんなことを曲の途中で話していた。

「君だよ 君なんだよ 教えてくれた 暗闇は終わるから…………いくよー!」

この瞬間だった。人生が変わった。
これまで、煌めくどんな星もステージ上の山下七海さんを照らしていた。それは変わらない。けれど、自分の姿もよく見えた。
七海さんが眩しかった。緊張なんて感じさせず、トリなんて不安は微塵も抱かせず、それどころかファンを楽しませるだけではなく、ファンより自分が誰より一番楽しいのだと、自分が今一番幸せなのだという顔で笑っていた。私は幸せ!あなたはどう?と問いかけてくるような、なんの歪みもない純粋さがあった。
自分で自分を幸せにできる人。島田さん家のまゆちゃんが話していた。自分は幼い頃からずっと、誰かの迷惑になりたくない、が第一で生きていた。そうなりたかった。いつしかそれは、一人で大丈夫な人になりたい。自分で自分を幸せにしたい。それからなら、誰かと生きていけるのかもしれない、そういう願いに変わっていっていた。忘れていたそれらを、思い出させられた。
七海さんは、自分で自分を幸せにできる人なのだ。自分で自分を幸せにして、それから私たちに、ファンにその光を向けてきて、あなたはどう?って聞いてくる。それから、楽しませてくれる。幸せにしてくれる。そういう優先順位が、正解が、本能的に選べる人なんだ。
七海さんに照らされてよく見えた自分自身の姿は、これで満足だからもう死のうと思うにはあまりにも醜かった。

公演終了後、感情の奔流に耐えられず風呂場に向かい、湯船につかりながら滅茶苦茶に泣いた。悔しさだったと思う。あんな人間がいること、自分がそうでないことの悔しさ、悲しさ、衝撃と、感動。
滅茶苦茶過ぎる感情を涙にして流し終えてみると、とてもすっきりした気持ちで、ああなりたい、と思った。
七海さんとの距離は、とてつもなく遠かった。
七海さんみたいになりたい。あんな人になりたい。自分で自分を幸せにできる人になりたい。
もう十分だと思っていたけれど、あんな風に、少しでも変われれば。何かがどうにかなるかもしれない。
光るならを口ずさんだ。七海さんが歌わなかった、客席に話しかけていた部分の歌詞。

導いてくれた光は 君だよ
つられて僕も走り出した
知らぬ間にクロスし始めた
ほら 今だ ここで 光るなら

今だ。
ここなんだ。
つられて、走り始めるんだ。
七海さんは教えてくれた。
暗闇は終わるから、と歌ってくれた。

そこから一年、wugの活動を追いながら、これまで一切してこなかった身なりを整えるところから始まり、大嫌いな運動や食事制限で脂肪を落とし、人間の見た目になろうと努力した。
2ndツアー、劇場版試写会、接近イベント……歯を食い縛りながらそれらを蹴り、最低限のラインに立つまで七海さんには会わないのだと決めて走っていた。
そして2016年、ソロでイベントやらせてくださいの第2回目。そこで初めて、私はwugの、山下七海さんのイベントに参加することができた。
あのとき、山下七海さんは、ぼんやりと画面を見ていただけの、捻れた自分を導いてくれた。
諦めるなら、せめて、あんな風になってからにしよう。それでも駄目なら、そのときに考えよう。そんな風に、光に向かって歩くことを選択させてくれた。道標のように光ってくれていた山下七海さんには、本当に感謝しかない。
2015年、あれから楽しいこと、悲しいこと、色々あったけれど、とてもいい4年間だったとはっきりと言える。あのとき死ななくて良かったと。
まだまだあんな風にはなれないし、自分で自分を幸せにはできていない。自分のことは嫌いだし、しんどいことばかりだとも思ってしまう。けれど、あのときの自分より、今の自分のほうがましだと思えている。すごいことだ。
山下七海さんを好きになって良かった。山下七海さんの好きなところ、無限にあるから一生語れるのだが、自分語りという名目でこの記事を書いているのであえて触れないでおく。一つ言うなら芋とか言ってた過去の自分を殴りたいくらい可愛いんですよね。顔が好きだからファンやってるわけではないが、流石にあのときの自分見る目なさすぎる。
なんにせよ、これからもずっと好きで、目標にして、憧れて、救われていくのだろうなと思う。それから、応援していくことで少しでも彼女の助けになれたらとも思う。おこがましいか。

そんな感じで、長くなりましたが山下七海さんに救われるまで。でした。ちゃんちゃん。
山下七海さんが存在する時代に、この世界に生まれてきて良かった、七海さんの存在、家族、全ての人類に感謝。

ドリフェスに出会ってからサイコーを越えるまで(後編)

※武道館公演セトリネタバレあります。ポエムです。めっちゃ長いです。




3/5、ドリフェスコンテンツの全てが武道館公演をもって終了することが発表された。

活動休止という言い方ではあったが、アニメも一段落し、筐体とアプリが終了する以上、3次元のDDKFの活動再開もほぼほぼ望めないと思った。実質の解散だ。
その発表を自分は非常に冷静に受け止めており、そうか、と悲しさや寂しさ、納得や理解、相反する様々な感情を持って頷くしかなかった。
ツアーで夢中になってから、一瞬の出来事だった。
なんで、どうして、もっと追いかけたかった、こんなに素敵なコンテンツなのに。そう思うことは簡単だったが、そう思う資格がないとも感じていた。何故なら自分はドリフェスを知ってからアニメが始まるまで、なんの応援もしてこなかったから。アニメを見てもただ面白い、良かったと呟くだけで、アプリや筐体に課金したり、積極的にイベントに参加することもしなかったから。
もっと早く追いかけていれば。もっと早く動いていれば。もっと早く……。
後悔はいくらでもできた。オタクが一人動いていたところで何かが変わったわけではなかったかもしれない、でも、もしかしたら何か変わっていたかもしれない。少なくとも、何も変わらなかったとしても、自分はもっと早くに追いかけ始めたかった。リリイベからツアーまで、彼らの一分一秒を目に焼き付けたかった。そんな資格がなかったとしても、ものすごく悔しく感じたことだけは本当だった。

ツアーが終わり、コンテンツの終了を告げられてもなお、ユメノコドウの熱さは変わらなかった。
あのステージの熱狂はどのライブに行っても変わらず胸に残っていて、こんなにライブの熱が長く残ることは初めてだった。
MV集、1stライブの円盤、ドリフェスラジオ、キャラTwitter、それからアプリ。追いかけられなかった、気にもしないでスルーしてしまっていた彼らの三年間を追いかける日々が始まった。
DearDreamがアニサマに出ることが決まり、初めてアニサマのチケットを取った。それからすぐに自分が元々追いかけている声優ユニット(WUG)のアニサマ参加が決まり、周りのオタクも続々とアニサマのチケットを準備し始めたのをいいことに、とにかくドリフェスを布教した。
アニサマに行った周りのオタクが、DearDreamを見て「ああ、これあの人が言ってたグループか」と一瞬でも意識してくれればいい、自覚がなくてもいい、とにかくドリフェスとDearDreamの名前を刷り込みたい、とその一心だった。
今考えるとあまりに必死すぎて我ながら気持ち悪いなと思うのだが、その甲斐あってかWUGのオタクがアニサマ後に「ディアドリ良かった」「武道館気になってきた」「アニメ見ようかな」と言ってくれたり実際アニメを見てくれたりして有り難すぎて泣いた。自意識過剰かもしれない。でも一人や二人は自分の布教が成功していたと思う。多分。
wugとドリフェスの共通点、相互性について語れる人が増えたのは純粋に嬉しかった。アニサマ前はその2グループが共演するの、もしかして……私信か!?とオタク特有の勘違いしてもおかしくない孤立感だったのに、アニサマ後はワグナーとディアドリンセスで滅茶苦茶交流が生まれていた。僕たちは出会えたことを誇っていいんだよな……と一人でエモくなっていた。ありがとうアニメロサマーライブ。

バンダイチャンネルでアニメドリフェスの全話無料配信が始まったことをきっかけに改めて見直してみると、今更ながら気付く、刺さる要素も多く、もっと2次元の彼らが好きになった。
彼らがいつもレアリティの高い衣装を着ているのは文字通りファンのエールを受け取っているからということや、純哉くんの道を素直に応援できないことが悔しい、と苦しむ奏くんの姿。黒石の過去を受け止めステージに立つ圭吾が、アニメを経て、戸谷くんと共にバトルライブのステージで涙を流していた(円盤で見た)(圭吾が泣いていたのは幻覚)ことを思い出して泣いたりもした。
信用できないよ……過去にさよならするのが、上手いやつなんて。ってこんな、相手の抱いている過去、それに伴う罪悪感を優しく包み込む台詞あります? 本当に天才。ドリフェススタッフ、天才集団か?

そして迎えた武道館当日。
色々考えていても普通にその日がくることに、当たり前に時間は過ぎるんだなぁと逆に冷静になっていた。
武道館が終わったとき、どんな感情に支配されているのだろう……。なんもわからん。なんもわからんまま今回初めてドリフェスのライブに来るオタクを引き連れて武道館一日目に向かった。
ラストだからというのはあるんだろうが、見たこともない数のフラスタがあって凄かった。絵が上手すぎる人もいればぬいぐるみが刺さってたりドリカがくるくる回ってたりミニチュアの衣装が飾られてたりと、なんだか一種の展示会みたいになっていて、お花を出すまでにオタクがどれだけ試行錯誤したか伝わってくる作品ばかりだった。オタクは凝り性。

一曲ずつライブの感想を書いているとライトノベルが一冊書ける分量になりそうなので、特に印象に残ったことだけ書いていく。
まず旗。とにもかくにも旗。アイドルには、旗!!!!そう!!!!!!!
PLEASURE FLAGで旗持たせようって提案した人間、アイドル筋力が高すぎないか? 本当に素晴らしい感性。あのデカい旗をバサバサ振りながら踊る5人に高まりと感動がぶつかって、あ~~~~!しか言葉が出てこなかった。
あと衣装。もしかしたらもしかしたりしてヴァンパイアロードでグローリーストーリー……くるか!?と予想してはいたものの、本当に来たらあまりの5次元力と石原壮馬君のピアス(イヤリング)の良さに溶けてしまった。グローリーストーリーで赤と青で膝ついて腰を回す振り、一生好き。
あとやはり外せないのがMagnetic Emotion。あまりにも……あまりにもアレ過ぎて(やんわりとした言い方)、オタク全員発狂してたしなんなら腰抜かしてた人もいた。
青と薄紫でSを作る振りのところで(これ二日目やってなかったって本当ですか?誰か教えて)近くにいたオタク二人が「なに????なに????????」って言いながら一緒にSの字作ってて笑った。
でもそれほどまでに人類には早かった、マグエモ。息も絶え絶えでその後のシンメが静まり返っていたオタクたちが「……愛してる」で無事息を吹き返していたのも良かった。
Lifetime=Partytime!は正直ここまでいい曲になると思わなかった。アルバムで聞いたときは楽しい曲だな、止まりだったので、武道館のステージで三人があんなにも楽しそうに、はしゃいで、5次元フロアの人生を謳歌していることが本当に嬉しくて、無性に涙腺にきた。
Run After Blowin’ Wind!での石原壮馬vsファンの構図も印象深い。
間奏を歌うという発想がなかったのか最初は小さかったファンの声が石原くんに煽られ大きくなっていき、それに対して石原くんが満足そうに「いいねえ」と好戦的な笑みと声を発したのを見て滅茶苦茶笑顔になってしまった。
最後に背を見せてきたところで、ああ、ここから始まるんだ、と思えた。ここで彼の背中に「明日」を見てからかもしれない、武道館公演中、一気に気持ちが終わりと明日に向かって加速していったのは。
当たり前だったことが当たり前でなくなる、昨日はすごくネガだった、でも今日とにかく楽しくてそんな気持ち吹っ飛んでた、と語った石原くんのMCにカクカク動く玩具のように頷いていた。今悲しい人いなくない?いる?みたいなことを聞いていて、まあいるでしょうとは思いつつも本気で楽しいだけが溢れていると信じて疑わない真っ直ぐで若くて強い精神が愛しかった。

それから二日目。いよいよ最終日、流石に昨日のように楽しいだけで終わることは難しいだろうなと思った。
マグエモに備えていても動悸がして足に力が入らなくなったり、とにかく絶対聞きたかったMAY BE, LADY!で無事に優しく殺されたりと(ヴァンパイアロードでのメビレは予想はしていても対処できない“強さ”だった)幸せな時間を過ごし、MC。
泣かないだろうと思っていた株元さんの涙と、それに釣られるようにして案の定泣いていた戸谷くんの言葉でもう駄目だった。
寂し(くな)いわけないじゃん!!!と叫んだ正木くんに、そうだよな、だってドリフェスでデビューしたんだから、ずっとあった柱がなくなっちゃう、地面がなくなっちゃうような不安と寂しさだよな、と一緒に泣いてしまったり。
一日目はべしょべしょに泣いていた太田くんが、二日目はしっかり、今度は皆さんが夢を叶えてくださいと笑顔で話しきった、本当にこの人はドリフェスに人生を変えられたんだなとわかる想いの強さにぐっときたり。
純哉と俺は別の人間で、あえて寄せずにそれを貫いてきた、と話したトミーに、この人が一番2次元を人として尊重してくれていたのかもしれないと思わされたり、今はメンバーの誰を見ても安心しますという言葉に三年間育ってきた絆を確かに感じたり。
青は憧れで、苦しいかもと思った、それでも周りの人間に支えられて僕は理想だった「青」になれたと話す溝口くんに、この人は青で良かったんだな、と最初に感じていた「合わないんじゃないか」という疑問や不安をどれだけ本人も感じていたんだろう、どれだけ重く大切に「青」を育ててきてくれたんだろうと感謝したり。
それから、「誇っていい。これは勝ちです!」と言いきった石原壮馬君の言葉に、どれだけ救われただろう。
本当はツアーで終わっていたかもしれない、ライブやるのも簡単じゃないんで、と話す言葉に、武道館に14人を立たせてくれるために奔走した大人の姿と、ツアーで終わるかもしれないと思いながらあのダブルアンコールに応えたのだろう5人の姿を想像した。ありがちで、誰もが言っている言葉だが、最後にありがとうと伝えられるこの場があることが本当に奇跡的で、「勝ち取った」ことなのか、その言葉でようやく理解させられた。

ドリフェスは、コンテンツが終わることが決まってから色々なタイアップが決まった。コラボカフェやカラオケ、その一つが決まる毎に、オタクたちはこぞって「ドリフェス君終わる気ある??」「実は終わらないのでは??」と呟いていた。自分もそうだ。なんだか面白がるようにして、ドリフェス君終わる気なし!と笑っていた。
あれはやはり終わりを信じられなかっただけなのだなとその時思った。そして、終わりを信じたら前を向けなかったから、明日がこないで欲しいと願ってしまうから、目をそらしてわからないフリをしていた。受け止める覚悟がなかったから、逃げていた。
自分はドリフェスは負けたコンテンツだと明確に考えていたわけではなかった。しかし考えてみるとやはり、終わる→売れなかった=負けたと内心思っていたのだと思うのだ。その、自分でも気付いていなかった悔しさを、取り返しがつかないと思って自覚すらしないままでいようとしたやりきれなさを、石原君は掬い上げてくれた。
どれだけ言おうがドリフェスは終わるし、アニメの続きも見れなければアプリも再開しないんだ、と反論することは簡単だった。
けれど、石原君の言葉にはそう言わせないだけの説得力があった。それが凄いと思ったし、この場で「勝ち」という誰も想像もしてなかったであろう、けれど誰もが望んでいたであろう正解の言葉を掴み取った、それこそが「勝ち」だと思った。
溝口君がツアーの千秋楽で言っていた。「そうまの言うことは絶対」なのだと。
あのときはわがままと、甘やかしと、信頼、そういった意味として受け取っていたし、多分言った本人もなんとなく楽しくなってそう言っていただけだろうと思う。けれど今となっては、そうまの言うことは絶対そうなる、だってそうまが言葉にすることで誰もが正解に気付く、だから絶対そうなる、みんな正解に辿り着ける、という言葉にすら聞こえる。絶大な信頼と信用。自分達には形にできない、掴みとれないあやふやなものを、こうだと定めてこちらに投げてしまえる意思。
センターになるために、中心にいるために生まれてきたような人だな、と思った。
「今ここに色んな感情が渦巻いてる」「いいね」そう言って笑った石原くんは、お前ら全員同じステージにいる。かかってこいよ。と言っているように感じられた。ライバルなのだ、彼らと私たちは、どこまでも。
だから、彼らと一緒に、私たちも明日に進まなければいけないと思えた。

それからアンコール二曲、これは天才。天才のセトリ。
インフィニティ・スカイとETERNAL BONDSを、こんな気持ちで聞けると思わなかった。こんな色の曲になると思っていなかった。
明日に向かわなければ、から、明日に向かっていこう、どんな明日になるだろう、そんな真っ直ぐな気持ちになれた。本当に晴れやかな気持ちだった。
ダブルアンコールも終わり、イケるっしょ!で捌けるのも、ドリフェスらしかった。
もう会えないと思っていた2次元の7人にも会えて、きちんと2次元の彼らを最後まで大切にしてくれたのが、何より嬉しく思えた。本当に素敵な、キャラクターも人も作品もファンも何もかもが愛されるコンテンツを好きになれたこと。それは本当に本当に、私の誇りだなと、自信を持てた。
最後はドリフェス!になったファンたちが、14人がいなくなったステージを見ながらALL FOR SMILE!を歌い、ドリフェス!のステージを続けていた。
ステージ裏で、それを聞いた14人が笑ってくれていたらいいなとただ願って歌っていた。
その笑顔が最高のエールになるはずなのだから。

キャラクターTwitterも終了したその夜には#イケるっしょ!というタグがTwitterでトレンド入りしており、監督を含め関係者が一番驚いていそうなのがなんだか面白かった。

イケるっしょ!
また会おうね!

その言葉を残していなくなっても、きちんとドリフェスは続いたまま明日がきていて、それはこれからも変わらないのだなと思えた。
こんなにも爽やかな終わりは自分の人生でも初めてのことで、石原壮馬君の偉大さとかっこよさにその後三日間ほど石原壮馬君としか言葉を発することのできない身体になっていた。
終わるのに明日に連れていくとかサイコー越えるとか言われても……とうつ病人間になっていたのがまるでネタ振りだったかのように、明日に連れていくって、サイコー越えるってこういうことなんだな、とこの一週間頷き続けている。
本当にこんなにも素晴らしい作品に出会えて良かった。14人のアイドル、それを支えてくれたスタッフさん、エールを送り続けていたドリフェスの皆さん、それだけじゃなく、私のやかましいツイートでほんの少しでもドリフェスに興味を持ち、触れてくれた方。
本当に、本当に、ありがとうございました。


最後に。
800円で彼女になれる魔法のカードこと37カード、ゲットできなかったんですが、ゲットできなくてよかったのかもしれない。山下七海さんという心に決めた人がいるにも関わらず石原壮馬君ガチ恋になってしまっていたかもしれないので。
ここまで読んだ人、WUGさんのファイナルツアーにも来てください。頼む。約束の地で待ってる。

ドリフェスに出会ってからサイコーを越えるまで(前編)

10月20、21日に東京・日本武道館で開催された「ドリフェス! Presents FINAL STAGE at NIPPON BUDOKAN 『ALL FOR TOMORROW!!!!!!!』」があまりにサイコー越えすぎていたので、自分がドリフェスに出会ってからどういう道程で武道館に導かれたのかメモも含めて書いていく。長いです。

私がドリフェス出会ったのは初期も初期、ドリフェスのキャストが発表されたタイミングだった。
もうあまり覚えていないのだが、Twitterで「アイカツ!の男verが始まるww」と公式サイトのURLがRTで回ってきたのが最初だったと思う。
元々アイカツ!が好きだったのもあってなんとなくサイトを見てみたらなんとキャストに溝口琢矢くんがいるじゃないですか。俳優はほとんど知らないのだが、その中でもたまたま知っていた方がいることで興味を持った。
ものすごく明るくてお喋りなイメージがあったので、青のクールキャラというのがものすごく意外だったことだけ覚えている。
正直、合うのか?もっと明るい、可愛い系統のキャラクターのほうが声質的にも合うんじゃないか?と思ったことも(しかし今思うとそれは武道館のMCで「青で良かったんだな」と泣くことになる伏線だった)。
その時はよくわからんが、頑張れ!と思うだけで終わった。それ以降も、なんか筐体とかアプリとか始まったらしいという情報を追うだけで積極的に手を出してはいなかった。
姉がアプリを触っていたので横で見たりしつつ、ドリカ配りやリリイベ、ファンミーティングの日時を見てはタイミングが合わず参加できないままアニメ化が決定。

第一話からアイカツ!の血が感じられて、確かに演技はアレだけど見れないことはないしイケるっしょ!とウキウキしながらTLを見たら「アイカツなのはわかるけど棒読みキツすぎるしこれならアイカツ見るわ」と言ってるオタクがいてキレたのも覚えている。かなしいね。
そんな感じで周りにほとんど視聴者がいなかったのだが、めげずに全話見たし実況した。なんなら姉と地上波で一緒に見て、一期が終わる頃には終わっちゃやだ……と涙したり二期が決まって二人で大はしゃぎしたりしていた。姉が一緒に見ていてくれていたから、自分がアニメドリフェスを面白いと感じることはおかしくないんだと思えていた気がする。それくらい周りにドリフェスを肯定してくれる人間がいなかった。
1stライブ行きたいよね、と話していたことは覚えているのだが、どうして行かなかったのかは思い出せない。チケットが完売していたのか、都合がつかなかったのか。
何にせよやはりイベント等に行く機会がないままドリフェス!Rが始まり、最終回を見た時点でこれはツアーに行くしかないということで姉と話が纏まった。

そして迎えた東京公演。
席は最後列のドセンター。最後列でライブを見ることは多分初めてで、客席まで全体見渡せるのがエモいなと思った。あと光る板にドリカをセットするオタクたちの手つきがアニメそのままで感動した。
しかし最終回を見たノリでチケットを取ったものの、曲はあまり聞き込んでおらず、シンアイなる夢へ!とSymmetric loveが聞きたい、あとはアニメで大好きだったKUROFUNEの二人が見たかったけど東京公演にKUROFUNEはこないし……男性アイドルのライブなんて初めてだし……本当に楽しめるのか……と始まる前は不安のほうが勝っていたのだが、全くの杞憂に終わった。
とにかく滅茶苦茶感動したのだ。
これまでも声優のライブを見たことはあったし、2.5次元ハイパーリンク、イタコ……そう言われるステージは生でも円盤でも見たことはあった。しかし、それとはまた別のステージだった。アニメに出てきた彼らの存在を背負って、それでいて全くの別人として、きちんと2次元と3次元それぞれのDearDreamのステージで、これが5次元かと。2次元の存在にわざと寄せることも、3次元の彼らだけでもなく、尊重しあってそこに共存していた。
一曲目から掴まれていたのだが、特にユレルMIDNIGHTからのダンスミュージックメドレーは最高だった。綺麗で可愛い系の顔立ちをしている溝口くんがダンス中不意にS顔で笑うのが良すぎて感情の塊になってしまったし、Butterfly Girlを好きじゃない女はいないと言われている意味がわかった。一人一人ダンスパートがあるのがそれぞれの魅力を引き出していて、こんなに踊れるのかという衝撃も相まってサイコー越えた。何やこれはクラブで流せって一生言ってた。
あとライブの長さね。KUROFUNEというゲストなしに、MCを挟んでいたとはいえ、DearDream5人だけでこの時間歌って踊ってたのかと終わって時間を見て衝撃だった。男の体力なのかDearDreamがすごいのかよくわからんけどとにかくすごい、と感心した。
終わってみてから自覚したのは、最後列で見たとは思えないほどの楽しさと衝撃を受けていたこと。
自分は人生で初めて参加したライブが最前列で、それ以降もあまり遠い席に座ったことがなかった(非常に運が良かったのだと思う)。何が言いたいかというと、アイドルからレスが貰えることの喜びを知りすぎていた。
女性アイドルからの爆レスという麻薬のような幸福を味わいきっていた自分が、最後列でここまで楽しまされると思っていなかったのだ。
それは初めてライブに参加したときと同じくらいの衝撃で、最後列までこんなに楽しませることができる凄さを思い知った。これまで自分が参加したライブでも、きっと同じように最後列で楽しんでいたオタクはいたのだろう、そのことに自分は気付いていなかったし、それに気付かせてくれたのはDearDreamだった。後ろまでちゃんと見えてるよ、というよく聞く言葉にも何故だか実感が伴った瞬間でもあった。
ステージに立ったアイドルが後ろまでちゃんと見てくれてパフォーマンスしてくれているから、一番後ろにいる人間もこんなに楽しめるんだと初めて理解した。男性アイドルを生で見るのが初めてだったのもあり、現実が拡張した気分だった。
隣にいた知らないオタクがサイリウム両手持ちしているのにずっと泣きっぱなしで、サイリウムも振れないわ涙も拭けないわみたいなことになってたのが印象的だった。

それからというもの、Twitterドリフェスのライブがどれだけ楽しかったかとにかくツイートした。というかあのステージに心が奪われ過ぎていて、気が付くとドリフェスの話をしていた。繰り返し曲を聞いて、普段はWUGとムシウタとWA2くらいしか描かない自分が、ドリフェスのイラストを描いた。ツアー千秋楽の神奈川公演もすぐに購入した。バトルライブは残念ながら行けなかったので、セトリを見て一人で悶えた。
美少女にしか興味がなかった私がそこまで心を奪われているドリフェスというジャンルはいったいなんなんだ、とアニメを全話見てツアーのチケットを買ってくれる謎に行動力のある男オタクまで出てきて、それが本当に嬉しかった。
ツアー来て、サイコー越えてるから、後悔させないから、いくらそう言っても他に参加を決めてくれるオタクはいなかった、だからこそたった一人動かせたのは重かったし感謝しても感謝しきれなかった。本当にありがとうございます。いつも感謝。

ツアーの千秋楽、これがまたとんでもなかった。
戸谷くんのビジュアルがあまりにも好みど真ん中で人類の可能性を見たり、七色のparadeが生まれたりと色々東京公演ではなかった楽しさもあったし、曲を聞き込んでから見るライブはやっぱり一緒にアガれる感じがして楽しい。これまでもずっと現場通ってたぜみたいな顔で曲名やイントロで周りのオタクと悲鳴を上げていた。
ダブルアンコールは、本当に奇跡を見たと思う。
何をやるかも決めていなかったあの場でシンアイを歌うことを決めた石原壮馬くん、その場で「最後まで三階席のみんなが見えそうだから中央の階段から捌けよう」と言い出した溝口くん、「あいつらが戻ってきたらハイタッチしようぜ」とこっそり階段の下で待っていたKUROFUNEの二人。
その全ての企みがうまくいっていたことを一階後方にいた自分が知ったのは、終演後、三階席でステージを見ていたオタクたちの感想ツイートからだった。あの時ばかりは三階から見たかったと思ったし、東京公演で彼らを見たときに感じた、最後列まで楽しませてくれるステージを見せてくれるんだという確信がまた補強されて震えた。
ツアーが終わってみると、ビジュアルは戸谷くんと溝口くんが好きだけど、何故だかパフォーマンス中ずっと目を離せなかった石原壮馬君が印象に残り、推しも決まった。万歳三唱とか言い出す奏くんみたいなところと、そうまのいうことは絶対!と甘やかしと信頼のどちらも周りから受けていそうなところ、それでいてライブが始まると雰囲気がガラッと変わって、これがセンターの力か……と思わされるところが好きだな、と思った。イキザマ3行きます。

そして、3/5。
ドリフェスのアプリ終了、それに伴って現実のDearDreamの活動も10/21武道館公演を最後に、お休みになることが発表された。